2011年7月31日日曜日

ユニクロとニューヨーク

私は、昔からリテールビジネスに興味があり、新しいショッピングセンターや話題のお店ができると必ず見に行きたくなる。店舗には、客と商品と社員、つまりビジネス全ての要素が凝縮されているので、ビジネスの本質を理解し、楽しむには最適な場所だと思う。

お台場にビーナスフォートができた時も真っ先に行ったし、IKEA船橋店にはオープンする前に店の中を見学させてもらった。そんな経験を重ねていると、成功する店と失敗する店が自然に見分けられるようになってくるから不思議だ。

私が見ているポイントを幾つかあげてみる。店員の顔が活き活きしているか、商品の種類、品質、そして価格は他の店と比べてどうか(付加価値を出せているか)、客数と店員の数の割合、そして見客と実際にレジで買っている客の割合はどの程度かなど。これらをチェックするだけで、多くの情報が得られるから面白い。そして、数か月後にまた同じお店を訪問すると、だいたい自分が予想した通りの結果になっている。「この店は潰れるだろうな」と思うお店は、やはり潰れてしまう。「いけるな」と思えば、やはりいけることが多い。それは、他社の状況は冷静に分析できるが、自社の状況を客観的に判断するのはとても難しいということと同じなのかもしれない。

私は今世界で一番頑張っている日本の小売業はユニクロだと思う。世界レベルの強豪ぞろいのカジュアルファッション業界で、山口出身の日本企業がグローバルに果敢に打って出る姿勢に爽快感を感じる。グーグルの人材開発マネージャーとしてアジア太平洋地域を飛び回っていた時は、ソウル、上海、シンガポールと出張に行くたびに、現地のユニクロの店を訪問していた。私の分析でも、現地の人と話を聞いてみても、ユニクロがアジアで成功しているのは明らかだった。

しかし、ニューヨークではどうだろうか?ニューヨークは、ギャップ、Old Navy、ラルフローレンなどのアメリカ企業だけでなく、ZaraH&Mなどのヨーロッパ系企業などの手強い競合がしのぎを削るファッション業界最先端の地だ。上海やソウルとは格が違う。ユニクロは果たしてここで勝てるのか?アメリカ人の知人と昨年の11月に、ニューヨークでディナーを共にするまで、私はユニクロがニューヨークで成功するのはなかなか難しいと思っていた。

彼は生粋のニューヨーカーで、名門コロンビア大学の医学部生。私たちは午後6時半に私が滞在するホテルで待ち合わせた。そして、私たちは、そのホテルから数ブロック歩き、お目当てのタイ料理店に到着した。店に到着して数分後、ウエイターは私たちを2人掛けのテーブル席に案内し、私たちは着席した。そして、彼は紺のジャケットを脱いだのだが、その下にカラフルなシャツを着ていた。彼はそのシャツを指しながら、こう言った。「This is UNIQLO, Made in Japan」。私はその瞬間、ユニクロのニューヨークでの成功を確信した。そして、スケジュール的にはとても厳しいが、次の日の早朝にユニクロの店舗を見学することを決めた。

翌朝6時半、私は地下鉄を乗り継ぎ、ソーホー地区にあるユニクロの店を目指した。まだ薄暗いソーホー地区をひとりで歩きながら、昨日のディナーのことを考えていた。そして、H&MZaraなどの店の前を通過し、お目当てのユニクロの店に到着した。まだオープン前なので店の中には入ることはできなかったが、社員らしき人が荷物をトラックからお店の中に搬入する姿を見ることができた。店の中を覗くと、お馴染みのユニクロがそこにあった。ふと見上げると、日の丸が冷たいニューヨークの風になびいていた。まだまだ日本は世界で戦える。そして自分も日本のために何かしたい。何かできる。そう思った。

2011年7月27日水曜日

理想と現実の狭間で悩む日々

自分が提供したい価値と日本社会が求めているものがミスマッチしていると感じることがある。私が提供したいのは、何をやるか、なぜそれをやるか、つまりWhat Why。しかし企業から求められているのは、どうやってやるか、Howのことが多い。WhatWhyをしっかり議論すれば、自然にHowは導きだすことができるのにと思う。それが戦略人事だろう。成果主義やワークライフバランス等の制度もWhatWhyの議論をせずに導入したことで失敗したではないか。

また今はどうやるかではなく、なぜやるかが大事な時代。マネジメントからリーダーシップへ、戦術から戦略へ、改善からイノベーションへの転換が必要なのだ。私は自分なりのやり方(決して独りよがりにならずに)で壁に穴を開けてみたい。そうでなければ、グーグルを辞めて独立した意味がなくなってしまう。しかし、同時に社会が欲しがらない商品を作る意味があるのかとも思う。理想と現実の狭間で悩む日々。何の仕事でも、この理想と現実のバランスをしっかり取ることができれば素晴らしいのだと思う。


後談:新しいことを始めると勝手が分からないので、右にいったり、左にいったりとブレが生じるようです。徐々にそのブレ幅が少なくなった時には、方向性がはっきりするのだと思う。ある程度の試行錯誤は必要なのでしょう。GEの先輩に紹介された小杉俊哉氏の著書を読んだ。なんと私と同じ39歳の時に独立されている。また、今話題の「パンツを脱ぐ勇気」の児玉氏も私と同じ年。39歳というタイミングは何かあるのかもしれないと思います。

2011年7月17日日曜日

インドで戦えますか?

日本人は研修や国際会議に参加しても発言をしない。これは世界の常識だ。私も研修・セミナー講師として、そんな経験を今まで重ねてきた。私が何度も質問を投げかけても、多くの日本人参加者は黙っていることが多い。この状況をいかに崩して双方向型(参加型)にするかが講師の腕の見せ所なのだが、セミナーの時間が短い場合などは、仕方なく講義形式で話を進めていくしかないことも多い。そして、セミナー終了後、「今日のセミナーは盛り上がらなかったな」と一瞬心理的に落ち込む。しかし、参加者のフィードバックを見ていつも驚く、なぜなら非常に良い評価で、鋭い意見や指摘が満載なのだから。「日本人は自分の考えていることをもっと素直に発言すれば良いのに」といつも思う。そのせいで、日本人は明らかに国際社会で損をしているのだから。

一方、今でも忘れられないのがGoogleインドでの経験。約1年半前に、私にとって初めてのインドでのリーダーシップ研修のファシリテーションを行った。私は、研修当日の朝、ドキドキしながら約30人のインド人参加者の前に講師として立っていた。男女約半々、カラフルなインドの民族衣装を着ている参加者もいれば、T-shirt・短パン姿の人もいる。「いやー、なんでインドでの研修講師引き受けたんだろう。無謀だよ」と一瞬思ったが、もう逃げ出すことはできない。

私は簡単な自己紹介をすませて、研修をスタートさせた。 そして研修開始5分後、私は参加者の意見を聞いてみようと、What do you think?(どう思いますか?)と全員に向けて質問を投げかけた。その直後、私は自分の目を疑った。一斉に多くの参加者の手が上がり、早口のインド訛りの英語で意見を話し始めた。1人の参加者の話が途切れた0.5秒の隙間に、別の参加者が話し始める。そして、勝手に周りとディスカッションをはじめる人達も出てきた。私の存在はそこにはない。私はあせった。「カオスだ。もうお手上げだ」。時間はどんどん過ぎていく。研修の目的からどんどん外れた方向にディスカッションが進んでいく。「もう降参するしかない」と恐れに支配されそうになった。

しかし、もう一人の心の中の自分が話しかけてきた。「ここであきらめる訳にはいかないだろ。勇気を出せよ」そして、ここは関西ジョーク?を一発飛ばしてやれと思った。もうどうにでもなれ。「みなさん!日本では私が質問を参加者に投げかけたら、シーンとして誰も答えないけど、インドは真逆ですね。凄いディスカッションだ。もしかしたら、ファシリテーターの私いらないかも??」と茶目っ気たっぷりに言った。すると、どっと大きな笑いがおきた。まずは、参加者の意識を自分に向けさせることに成功したのだ。そして、私は日本の柔道選手のように一気に「一本」を狙いにいった。

「国際会議の議長として成功するには、発言しない日本人にいかに発言させ、発言し過ぎるインド人の発言を管理する力が求められると良く言われているが、まさに今の私に求められていることだと思う」私は、参加者全員の頭の中のランプに灯りがともり、「なるほど!」と感心しているのが分かった。「一本」!心の中の審判が叫んだ。

まずは笑いをとり、そして日本とインドという国を世界の視点から真面目に対比させることで、私の講師としての信頼が一気に増したのだった。つまり、He Knows what he is talking about(この講師は物事を良く理解している)と参加者が感じたのだ。それ以降は、研修参加者は私の意見に耳をしっかり傾けるようになり、この研修は大成功に終わった。やはり、恐れに支配されそうになった時に、諦めずポジティブなエネルギー(笑い)の力を信じて前に進むことが大事なのだと思う。

2011年7月15日金曜日

中央大学での講演

本日、中央大学商学部の平澤先生の経営組織論の授業で「これからのリーダーシップ」について200名~250名ぐらいの学部生の前で講演した。中央大学の学生さんは私の講演にとても熱心に耳を傾けてくれた。

平澤さんはコーネル大学院時代の先輩で、一緒に机を並べて「リーダーシップ」や「戦略人事」を勉強した仲だ。当時、平澤さんは企業派遣生、私は私費留学生だった。時が経つのは早いもので、それから10年が経過し、平澤さんは中央大学の先生になり、私は人事の実務家・コンサルタントとなった。日本の若者(自分もまだ十分若いと感じているが)がリーダーシップを発揮して、日本を引っ張っていって欲しいと思っているので、今後様々な機会を通して、学生にリーダーシップの重要性を語っていく予定だ。その記念すべき第一回目が平澤先生の授業だったのはとても嬉しかった。

2011年7月9日土曜日

HR ビジネスパートナー


私は3か月に1回ほど、人事の実務家や研究者の皆さんと一緒に勉強会をやっているのだが、その中で人事ビジネスパートナーの考えがまだまだ日本企業に浸透していないのではという議論になった。まだまだ日本はオペレーション人事しか存在していないのでは?と。多くの外資系企業では現在、人事ジェネラリストのことをHRBP(HRビジネスパートナー)と呼ぶ。もともとは、このHRビジネスパートナーは戦略人事の考えから生まれた言葉だ。そもそも戦略人事とは何だろうか?

私が学んだコーネル大学大学院は戦略人事の学校として世界的に有名だった。戦略人事の概念自体はとてもシンプルで、事業戦略と人材マネジメントを連動させることで競争優位を目指しましょうという考えだ。たとえば、イノベーション(差別化戦略)を目指すIT企業とコスト圧縮戦略を掲げている流通企業で、人材マネジメントのやり方が同じであってはおかしい。差別化戦略であれば、優秀な人材の厳選採用、豊富な教育機会、充実した福利厚生などが考えられる。一方、コスト戦略であれば、パート社員などの大量採用、限定的な教育機会・キャリアパス、必要最低限の福利厚生などになるだろう。

つまり、戦略をはっきりさせて、それに人材マネジメントを連動させましょう。そして、各機能(採用、教育、評価、報償)間の整合性も保つようにしようということだ。人事部長はビジネスパートナーとして社長や事業部長の右腕として戦略人事を実施することで、事業戦略の達成を人的側面からサポートするのだ。

この考えを日本で手っ取り早く学ぶにはデイビッド ウルリッチ1990年代の後半に書いた「MBAの人材戦略を読むと良い。彼はGEShellなどの人事最先端企業の人事部長から丁寧にヒアリングをかさね、人事の機能を4つに分けることに成功した。P&Gの人事はこのウルリッチモデルを忠実に実施し、業績を上げている。P&Gの人材マネジメントに興味がある方はこちら

その4つの人事機能とは
1)ビジネスパートナー 2)チェンジエージェント 3)人材管理エキスパート 4)社員チャンピオン 

3)4)が従来のオペレーション人事。そして、ウルリッチは人事がより戦略的になり、ビジネスパートナーとチェンジエージェントの役割をこなせるようになることで企業業績に貢献すべきだと指摘した。外資系企業の人事で(少なくても名前だけは)浸透したHRビジネスパートナー。皆さんの会社ではいかがだろうか?そして、皆さんはHRビジネスパートナーの役割をこなせているだろうか?

2011年7月6日水曜日

起業して得たもの、失ったもの

会社を辞めてから1か月が経った。自分を振り返る良い機会なので、少し自分の考えを整理してみたい。起業するのは、会社で働いていた時に何枚も重ね着していた服を一枚、一枚脱いでいき、裸の自分になるような感じである。一生に一度しかできない貴重な経験だ。自己成長するには、今までと違った経験をすると良いと良く言われるが、本当だと実感する毎日。

まずは得たもの

1)自由と責任。いつ仕事を初めて、終わらせるかは全て自分次第になった。逆に言えば、自分が動かなければ、何も動かない。究極の自立だ。
2)嬉しさと誇り。銀行で自分のコンサルティング事務所の口座を開設した際、はじめて銀行の窓口の人が「鈴木コンサルティング様」と呼んでくれたときに感じた嬉しさと誇り。この不思議な経験をしただけでも起業したかいがあった。起業家の端くれになった瞬間だ。
3)人とのつながり。会社を辞めてから本当にたくさんの人が自分を助けてくれている。もし会社に属したままだったら、その有難さに気付かなかったかもしれないと思うとぞっとする。
4)自分の強みと弱みの再認識。会社を辞めた後(会社ブランドを取っ払った後)、自分には何が残っているのかがはっきりする、その自分の強みを生かして前進するしかない。

失ったもの

1)会社のブランド(名刺)。会社を辞めると名刺作成や営業活動など全てを自分でやらなければいけない。自己紹介する際、昔は会社名を言えば事足りだが、今は一から全て説明する必要がある。
2)チーム。先日、某雑誌の編集部・営業部の皆様とブレーンストーミングしていて思い出したのが、チームで物事を動かしていく楽しさ。そう感じた直後、元部下(韓国人)、上司と同僚(インド人)が来週日本に来るのでディナーはどうかとメールでの誘いが届いた。タイミングとは実に不思議なものだ。

私も会社で働いていた時、下記の質問を考えながら仕事をしたら、もっと良い仕事ができたと思う。皆さんも考えてみて欲しい。

「もし明日今働いている会社を辞めたら、自分には何が残るのか?会社は何を失うか?」
「会社のリソース(ブランド、人的・物的リソース等)を十分活かしきって仕事をしているか?活かしきれていないとしたら、なぜか?」

2011年7月4日月曜日

3度目の開国

新技術が世界を変えていく。それはいつの時代も同じだ。幕末、日本を世界の視点で見るのに最適な場所は蒸気機関が発明されたイギリスとその影響をもろに受けてアジア最大級の租界になった中国 上海だった。蒸気機関という新技術が蒸気船(黒船)を産み、西欧列強のアジア植民地政策へとつながっていった。幕末の志士、高杉晋作そしておそらく坂本竜馬も上海を訪問し、その後、開国派として明治維新実現に奔走した。

戦後まだ物不足に苦しんでいた日本。電力の供給もままならず停電ばかりだった日本。松下電器創業者の松下幸之助やトヨタ生産方式を作り上げた大野耐一はアメリカを訪問し、大量生産方式という技術とその技術が作り出した豊かな消費文化を見て、驚いた。そして、日本復興のビジョンを描き、実現していった。

そして現在、世界の視点で日本を見るのに最適な場所はどこだろうか?それは、情報技術革命の中心地 シリコンバレーとその技術の恩恵を受けて急速に発展しているインドだ。中国は?という人もいるだろうが、中国は大量生産方式という旧テクノロジーが中心なので、製造業からの産業構造の転換が必要な日本には近すぎる存在だと思う。ぜひ、グローバルリーダーを志す人はシリコンバレーとインドを訪問し、21世紀の日本を思い描いて欲しい。

2011年7月1日金曜日

破壊と創造の人事(書評)

「日本の人事関連の本はなぜつまらないのか?」アメリカではそれこそ元サウスウエスト航空の人事部長が書いた「HR From the Heart」スタンフォード大教授のフェファーが書いた「隠れた人材価値」など実務家にとってとても面白く為になる本がたくさんある。

人材マネジメントの専門家として、この分野の魅力に取りつかれている私は、なぜ私にすら理解が困難な学術書か簡単なマニュアル本(面接の仕方や就業規則の作り方)ばかりが出版されているのか理解できなかった。そんな中、とても読みやすく、しかも中身の充実した人事の本が出た。楠田祐氏と大島由起子氏が書いた「破壊と創造の人事だ。

この本の魅力は、今の日本企業の人事が抱えている課題が全て網羅されている点。足で生の情報を愚直に収集し、人事業界で広範なネットワーク築いている楠田氏だからできた離れ業だと思う。解決策に関しては各社で話し合って決めていくべきだと思う、それこそが戦略人事だから。企業・競争戦略に合わせて、人材マネジメントを連動させていくのが戦略人事なので、各社が同じ打ち手になることは基本的にはない。

戦略人事の概念が日本に紹介されたのは、1990年代の後半だったと記憶するが、真の意味で日本の人事がビジネスパートナーになれているのだろうか?しかし、人事がビジネスパートナーに脱皮するには、人事がビジネスを理解するだけでなく、経営者も人事の重要性を理解する必要があると思う。経営者と人事のパートナーシップが求められている。経営者がお父さんで、人事部長はお母さん。2人が喧嘩していると、従業員(子供)は困る。

震災後の閉塞感に包まれる日本。この状況を打破する為に、ぜひ人事だけでなく、経営者にもこの本を読んでもらいたい。GEのジャックウェルチが言ったように「人事は経営者にとって最も大切な仕事」なのだから。


後談:ジャック・ウェルチは人事は牧師さんと教師のハイブリッドであるべきだと指摘していた。つまり、教会は理念・バリューの浸透、学校はクロトンビルでのリーダー育成。経営者は人事に期待することを明確化すべきだろう。